三浦龍司選手は、男子3000m障害の日本記録を持つ陸上競技選手です。東京オリンピックとパリオリンピックで連続入賞を果たし、日本では世界との距離が遠いとされてきた種目で、メダル争いに加わる存在になりました。
大学卒業後の所属先や2026年現在の成績、怪我の状態が気になる人も多いのではないでしょうか。結論からいうと、三浦龍司選手は現在、SUBARU陸上競技部に所属しています。2026年8月23日のダイヤモンドリーグ・シレジア大会では、最終障害に接触して転倒し、脚を痛めるアクシデントがありました。その後は回復し、9月のダイヤモンドリーグ・ファイナルに出場。男子3000m障害で8分17秒31を記録し、8位に入りました。
この記事では、三浦龍司選手の2026年現在の活動をはじめ、日本記録やオリンピック・世界陸上での成績、洛南高校と順天堂大学時代、箱根駅伝、家族、性格まで一つずつ詳しく見ていきます。
三浦龍司の現在はSUBARU所属
三浦龍司選手は2024年3月に順天堂大学を卒業し、同年4月からSUBARU陸上競技部に所属しています。
SUBARUの公式プロフィールでは、群馬総務部スポーツ振興課に在籍する選手として紹介されています。大学卒業後に競技をやめたわけではなく、実業団選手として世界の舞台に挑み続けています。
現在の年齢や所属など基本プロフィール
| 項目 | 内容 | 補足 |
|---|---|---|
| 名前 | 三浦龍司 | 公式登録名 |
| 読み方 | みうら・りゅうじ | 英語表記はRYUJI MIURA |
| 生年月日 | 2002年2月11日 | 公式プロフィール |
| 年齢 | 24歳 | 2026年9月現在 |
| 出身地 | 島根県浜田市 | 本人も浜田市出身と発言 |
| 国籍 | 日本 | 日本代表選手 |
| 身長 | 167cm | 過去の報道で紹介 |
| 体重 | 56kg | 過去の報道値・現在は非公表 |
| 専門種目 | 3000m障害 | 中距離・長距離にも出場 |
| 所属 | SUBARU | 2024年4月入部 |
| 部署 | 群馬総務部スポーツ振興課 | SUBARU公式情報 |
| 出身中学校 | 浜田市立浜田東中学校 | 島根県 |
| 出身高校 | 洛南高校 | 京都府 |
| 出身大学 | 順天堂大学 | スポーツ健康科学部 |
| 趣味 | 映画鑑賞 | ドライブや旅行も好む |
| ニックネーム | ドラゴンミウラ | SUBARU公式プロフィール |
| 2026年度目標 | 世界大会メダル獲得 | SUBARU公式プロフィール |
| 自己ベスト | 8分03秒43 | 3000m障害日本記録 |
三浦龍司という名前は芸名ではなく、日本陸上競技連盟や国際大会で使用されている公式登録名です。別の本名や旧名があるという情報は確認されていません。
国籍についても、日本代表としてオリンピックや世界陸上に出場しています。ハーフや外国籍ではないかという明確な噂はなく、両親の外国ルーツを示す本人発言や公式情報も確認できません。
2026年は1500mや5000mにも挑戦
三浦龍司選手は2026年、専門の3000m障害だけでなく、1500mや5000mにも積極的に出場しています。
3月28日のモーリー・プラント競技会では、男子1500mを3分42秒84で走って6位。4月11日の金栗記念では5000mに出場し、13分45秒10で総合36位でした。本人にとって満足できる記録ではなかったものの、フラット種目で走力を高めるという目的を持った挑戦でした。
SUBARUの奥谷亘監督は、三浦龍司選手が1500mや5000mでも日本記録を狙える力を持っていると評価しています。障害を越える技術だけに頼らず、基礎となるスピードと持久力を引き上げることが、3000m障害で世界のメダルを獲得するための狙いです。
2026年の3000m障害最新成績
2026年の3000m障害初戦は、6月7日に行われたダイヤモンドリーグ・ストックホルム大会でした。世界記録保持者やオリンピック王者がそろうなか、三浦龍司選手は8分23秒97で13位となっています。
続く6月28日のパリ大会では8分10秒70で5位。三浦龍司選手自身も「やっと手応えのある走りができました」と振り返り、初戦から大きく記録を縮めました。
7月10日のモナコ大会では8分10秒30で2位に入り、世界トップ選手と互角に近い勝負を見せています。2025年に日本記録を出した同じ競技場で、再び表彰台に立ちました。
シレジア大会の転倒で脚を痛めた
2026年8月23日のダイヤモンドリーグ・シレジア大会では、最後の障害に接触して転倒するアクシデントがありました。
三浦龍司選手は転倒後も走り続け、8分11秒84で9位に入りました。本人はSUBARUを通じて、激しく接触したことで脚を痛めたと説明しています。一方、骨折や靱帯損傷などの具体的な診断名、治療期間は公表されていません。
したがって、「大怪我をした」「長期離脱が決まった」とまでは言えません。公表されているのは、脚を痛めて回復に努めているという段階です。
ダイヤモンドリーグ・ファイナルで8位入賞
三浦龍司選手は2026年のダイヤモンドリーグで合計11ポイントを獲得し、年間順位9位でファイナル出場権を手にしました。ファイナル進出の権利を獲得するのは5年連続です。
8月23日のシレジア大会では最終障害に接触して転倒し、脚を痛めたことから、ファイナルへの出場が心配されていました。しかし、その後も欧州に残って回復に努め、出場を決断しています。
9月にベルギー・ブリュッセルで行われたダイヤモンドリーグ・ファイナルでは、男子3000m障害で8分17秒31を記録して8位に入りました。2022年大会の4位以来、3年ぶりのファイナル入賞となりました。転倒の影響が残るなかで世界トップ選手が集まるレースを走り切った点からも、三浦龍司選手の回復力と勝負強さがうかがえます。
愛知・名古屋アジア大会日本代表に内定
三浦龍司選手は、2026年9月に開催される愛知・名古屋アジア競技大会の男子3000m障害日本代表にも内定しています。
同種目では、三浦龍司選手と青木涼真選手が代表に選ばれました。三浦龍司選手にとって2026年シーズン最大の目標の一つであり、世界大会で何度も入賞してきた実績から、金メダル候補として注目されます。
三浦龍司の日本記録とオリンピック・世界陸上の成績
三浦龍司選手が何者なのかを一言で表すなら、「日本の3000m障害を世界で戦える種目へ変えた選手」です。
男子3000m障害は、トラック7周半を走りながら28台の障害と7回の水濠を越える過酷な種目です。走力だけでなく、跳躍技術、位置取り、接触への対応、疲労した状態での判断力まで求められます。 3000m障害で活躍する大学生選手については、永原颯磨選手の3000m障害と大学駅伝の成績も紹介しています。
3000m障害の日本記録は8分03秒43
三浦龍司選手の3000m障害自己ベストは、2025年7月11日のダイヤモンドリーグ・モナコ大会で出した8分03秒43です。
それまで自身が持っていた8分09秒91を6秒48も更新する日本新記録で、順位も2位でした。優勝したオリンピック王者スフィアン・エルバカリ選手との差はわずか0秒25。最後の直線では一時先頭へ出るほどの接戦でした。
日本記録を少しずつ更新したのではなく、一度に6秒以上も縮めたところに三浦龍司選手の成長が表れています。8分03秒43は、世界大会のメダル争いを現実的に目指せる記録です。
東京オリンピックで日本人初の7位入賞
三浦龍司選手が広く知られるきっかけになったのは、大学2年生で出場した東京オリンピックです。
2021年8月の予選で8分09秒92の日本新記録を出し、日本人選手として初めて男子3000m障害のオリンピック決勝へ進出しました。決勝でも8分16秒90で7位に入り、日本勢過去最高順位を記録しています。
当時は19歳でした。初めてのオリンピックで決勝進出だけでなく入賞まで果たしたことから、3000m障害の「申し子」と呼ばれるようになりました。
パリオリンピックでも8位入賞
2024年のパリオリンピックでは、8分11秒72で8位に入りました。
決勝では終盤に順位を落としながらも、最後の1周で5人を抜く追い上げを見せています。東京大会の7位に続く2大会連続入賞で、一度だけの好成績ではないことを証明しました。
パリオリンピック後に競技から離れたわけではありません。三浦龍司選手はロサンゼルスオリンピックも見据え、現在もSUBARUで競技を続けています。
世界陸上は2大会連続入賞
2023年のブダペスト世界陸上では6位、2025年の東京世界陸上では8位に入りました。
東京世界陸上の決勝はスローペースで進み、三浦龍司選手は最終周回で一時3番手まで浮上しました。最後の直線でバランスを崩して8位となりましたが、地元・国立競技場でメダル争いに加わったレースでした。
東京オリンピック7位、ブダペスト世界陸上6位、パリオリンピック8位、東京世界陸上8位という成績を見ると、三浦龍司選手は世界大会で決勝に残るだけでなく、継続して入賞できる位置にいます。現在の目標が「決勝進出」ではなく「世界大会のメダル」になっているのも納得できます。
三浦龍司の学歴と学生時代
三浦龍司選手の出身校は、浜田東中学校、洛南高校、順天堂大学です。
小学生の頃から圧倒的な長距離選手だったわけではありません。短距離やハードル、縄跳びなど、さまざまな運動に取り組んだ経験が、3000m障害で生かされています。
出身小学校は非公表
三浦龍司選手の出身小学校名は、公式プロフィールでは公表されていません。
島根県浜田市で育ち、小学1年生の頃から地元の浜田ジュニア陸上教室、通称「浜田JAS」に通いました。親から勧められたことと、自宅近くに陸上クラブがあったことが競技を始めたきっかけです。
当初は短距離にも取り組み、小学4年生頃から長距離練習に力を入れるようになりました。小学5年生では1000mで島根県歴代1位となる3分08秒21を記録し、小学6年生では80m障害で県2位に入っています。
長距離だけに絞らずハードルを経験したことが、後の3000m障害につながりました。小学生時代の指導者が目先の記録だけでなく、選手としての可能性を広げた点も見逃せません。
浜田東中学校では全国の壁を経験
出身中学校は、浜田市立浜田東中学校です。
中学校の陸上部と浜田JASの両方で練習し、1500mや3000mで全国大会に出場しました。しかし、全国大会では予選敗退が続き、本人も当時について「全国で通用しない選手だった」と振り返っています。
一方、中国大会では2種目で優勝。地元クラブの上ヶ迫定夫コーチが、長距離走力とハードリング技術を併せ持つ三浦龍司選手に3000m障害を勧め、洛南高校への進学も後押ししました。
中学時代に全国トップではなかったからこそ、自分の能力を生かせる種目へ飛び込む決断ができたともいえます。早い時期から一つの種目だけに固定されなかった経験が、後の強みに変わりました。
洛南高校で3000m障害の高校記録を更新
中学校卒業後は、京都府の陸上強豪校・洛南高校へ進学しました。
島根県を離れ、寮生活をしながら競技に取り組んでいます。高校時代について、三浦龍司選手自身も「洛南高校に行っていなかったら今の自分はいない」と振り返っており、現在の土台を作った3年間でした。
高校2年生の国体5000mでは、14分04秒50で2位に入賞。三浦龍司選手はこのレースを、自信がついた転機として挙げています。
高校3年生になると、3000m障害で8分39秒37を記録しました。1989年に櫛部静二さんが出した8分44秒77を30年ぶりに更新する高校新記録で、U18日本記録にもなりました。
もともと全国大会で勝ち続けていた選手ではなく、自分に合う種目との出会いによって大きく伸びた点が三浦龍司選手の歩みの特徴です。
順天堂大学で日本記録保持者へ成長
洛南高校卒業後は、順天堂大学スポーツ健康科学部へ進学しました。
大学1年生だった2020年7月、ホクレン・ディスタンスチャレンジの3000m障害で8分19秒37を記録。37年ぶりのU20日本新記録と、41年ぶりの日本学生新記録を同時に打ち立てました。
2021年5月には8分17秒46で18年ぶりに日本記録を更新。約2か月後の東京オリンピック予選では8分09秒92まで記録を縮めています。
大学ではスポーツ健康科学を学び、母校の洛南高校で保健体育の教育実習も経験しました。本人は世界大会より教育実習の研究授業のほうが緊張したと語っており、競技中の落ち着いた姿とは少し違う一面が見えるエピソードです。
箱根駅伝には4年連続出場
三浦龍司選手はトラック競技だけでなく、順天堂大学の選手として箱根駅伝にも4年連続で出場しました。
1年生だった2021年は1区10位、2年生の2022年は2区11位、3年生の2023年は2区12位、主将を務めた4年生の2024年は1区10位でした。
区間賞はありませんが、3000m障害を専門としながら箱根駅伝の長い距離にも対応しています。2022年大会では2区を走り、順天堂大学の総合2位に加わりました。
2024年に大学を卒業しているため、現在は箱根駅伝へ出場できません。三浦龍司選手を箱根駅伝で見かけなくなったのは、怪我や引退ではなく、大学卒業によるものです。
三浦龍司の経歴とSUBARU入社後の活躍
三浦龍司選手の歩みを見ると、学生時代から年代別記録を更新し、そのまま世界大会の入賞選手へ成長してきたことが分かります。
ただし、本人は中学時代の自分を「弱かった」と表現しています。最初から完成された選手だったのではなく、指導者に適性を見いだされ、3000m障害と出会ったことで道が開けました。
3000m障害を始めたきっかけ
3000m障害を勧めたのは、浜田JASの上ヶ迫定夫コーチです。
三浦龍司選手は小学生の頃から長距離とハードルの両方を経験していました。走力、跳躍力、障害を越える動きが3000m障害に向いていると、指導者が早い段階で見抜いていたのです。
高校から本格的に挑戦すると、他の選手との差が縮まる感覚が面白くなり、競技にのめり込んでいったと本人は話しています。
三浦龍司選手は「3000m障害に出会って僕の人生は変わった」とも語っています。種目との相性だけでなく、自分が全国や世界で戦える場所を見つけたことが大きな転機になりました。
SUBARUには2024年4月に入社
順天堂大学卒業後の進路として選んだのが、群馬県を拠点とするSUBARU陸上競技部です。
2024年4月1日付で入部し、山本唯翔選手や並木寧音選手と同期になりました。入部時には、チームメートと競い合いながら競技力を高め、個人とチームの両方で結果を追求したいとコメントしています。
実業団1年目の2024年にはパリオリンピックで8位。2025年には3000m障害の日本記録を8分03秒43まで縮め、東京世界陸上でも8位に入りました。
実業団への移行によって成績が停滞したのではなく、大学卒業後も自己ベストを大幅に更新しています。
ニューイヤー駅伝でも活躍
三浦龍司選手はSUBARUの一員として、ニューイヤー駅伝にも出場しています。
2025年大会では1区12.3kmを走り、トップと2秒差の区間3位。3000m障害で見せるスピードだけでなく、ロードや駅伝でも高い力を持っていることを示しました。
2026年は日本選手権クロスカントリーのシニア男子10kmを29分20秒で制し、連覇を達成しています。トラック、ロード、クロスカントリーのすべてで結果を残せる点も、三浦龍司選手の強さです。
三浦龍司の家族や性格・結婚
三浦龍司選手は競技について詳しく語る一方、家族や恋愛など私生活については多くを公表していません。
確認できるのは、両親も学生時代に陸上部だったことや、三浦龍司選手が一人っ子であることです。家族の詳しい氏名や職業は明らかにされていません。
父親と母親も学生時代は陸上部
順天堂大学の対談で三浦龍司選手は、両親も学生時代に陸上部だったと聞いていると話しています。両親とも体を動かすことが好きで、その点は自分にも似ていると感じているそうです。
三浦龍司選手が陸上を始めたきっかけにも、親からの勧めがありました。ただし、父親と母親が専門としていた種目や競技成績、現在の職業は公表されていません。
ネット上では「母子家庭ではないか」という情報も見られますが、三浦龍司選手本人が家庭状況を明言した事実は確認できません。父親について語った情報もあるため、限られた記述だけで両親の離婚や現在の関係まで決めることはできません。
兄弟はおらず一人っ子
兄弟姉妹については、三浦龍司選手本人が一人っ子であることをインタビューで明かしています。
子供の頃はゲーム機やカードゲームなどの流行にあまり興味がなく、友達と外で遊ぶことが多かったそうです。島根県浜田市の山や川など、自然の中で鬼ごっこやかくれんぼ、キャンプをして過ごしていました。
一人っ子という事実から性格や家族関係までは判断できません。ただ、流行に左右されず、自分が好きなことを選んできた幼少期は、本人が語るマイペースな性格にも重なります。
結婚や彼女の公表はない
2026年9月現在、三浦龍司選手が結婚したという本人発表や所属先からの報告は確認できません。妻や子供がいるという公式情報もありません。
交際相手や彼女についても公表しておらず、信頼できる報道による熱愛情報は見当たりません。そのため、現在は独身とみられますが、恋人の有無までは分かっていません。
競技を続けながら世界各国の大会を転戦している時期でもあり、公式発信の中心は陸上競技です。
性格はマイペースで冷静
三浦龍司選手は自身の性格について、「無頓着なことが多いのでマイペース」と話しています。大多数の人の間で流行しているものにも、あまり興味を持たないことがあるそうです。
レースでも感情的にならず、最後まで障害が残っていることを踏まえて仕掛けるタイミングを判断しています。残り300mで他の選手が飛び出してもすぐには反応せず、最後の水濠や障害を安全かつ速く越えるため、冷静さを保つことを意識しています。
SUBARUは三浦龍司選手について、強気な姿勢と冷静なレース運びを併せ持つ選手と紹介しています。レース後にファンから声をかけられると笑顔で応じるなど、気さくな人柄も評価されています。
テレビ中継では淡々としているように見えることがありますが、勝負への思いが弱いわけではありません。海外大会を経験してからは、タイムだけでなく順位や勝敗に対する意識が強くなったと本人が語っています。
趣味は映画鑑賞やドライブ
SUBARUの公式プロフィールでは、趣味として映画鑑賞を挙げています。
大学時代のインタビューでは、「君の名は。」や「聲の形」を何度も見ていると話していました。運転免許を取得してからはドライブも楽しみ、友人と江の島へ出かけたこともあります。
大人数でにぎやかに過ごすより、2〜3人で出かけたり、自然の中でゆっくりしたりするほうを好むそうです。競技中の冷静な印象と、休日の過ごし方には共通する部分が見えます。
三浦龍司の現在と人物像に関するまとめ
- 三浦龍司選手は、男子3000m障害の日本記録保持者
- 2026年9月現在は24歳で、SUBARU陸上競技部に所属している
- 3000m障害の日本記録は、2025年に出した8分03秒43
- 東京オリンピック7位、パリオリンピック8位と2大会連続で入賞した
- 2023年ブダペスト世界陸上6位、2025年東京世界陸上8位と世界選手権でも連続入賞している
- 2026年は3000m障害だけでなく、1500mや5000mにも挑戦している
- 2026年8月のシレジア大会で転倒して脚を痛めたが、その後DLファイナルに出場した
- 2026年DLファイナルでは8分17秒31で8位に入り、3年ぶりのファイナル入賞を果たした
- 愛知・名古屋アジア競技大会の男子3000m障害日本代表に内定している
- 浜田東中学校、洛南高校、順天堂大学を卒業し、箱根駅伝には4年連続で出場した
- 両親も学生時代に陸上部だったと語っており、兄弟はおらず一人っ子
- 結婚や妻、子供、現在の彼女に関する公式発表は確認されていない
三浦龍司選手は、最初から全国で勝ち続けていた選手ではありません。長距離とハードルの両方を経験し、自分に合った3000m障害と出会ったことで、日本記録保持者、そして世界大会の入賞選手へ成長しました。
2026年8月にはシレジア大会で転倒するアクシデントがありましたが、その後はダイヤモンドリーグ・ファイナルに出場し、8位に入りました。大きな目標として掲げているのは世界大会でのメダル獲得です。日本の3000m障害の歴史を何度も塗り替えてきた三浦龍司選手が、今後どのような結果を残すのか注目されます。
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参考・出典
SUBARU陸上競技部「DLファイナル 三浦選手、世界の頂点を目指して走る!」









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