鈴木琉胤(すずき・るい)選手は、早稲田大学競走部の長距離ブロックに所属する陸上競技選手です。高校時代から全国トップクラスの成績を残し、早稲田大学へ進学後は1年生で箱根駅伝4区の区間賞を獲得しました。
早稲田大学での活躍に加え、出身高校や中学校、身長、出身地、ライバルが誰なのかも気になるところですよね。名前の「琉胤」の読み方や由来、家族とのエピソードを知りたい人も多いでしょう。
この記事では、鈴木琉胤選手が何者なのか、基本プロフィールと早稲田大学での成績を結論から紹介します。さらに、小金北中学校・八千代松陰高校時代、陸上を始めたきっかけ、箱根駅伝、ライバル、性格、2026年現在の活動まで詳しく解説していきます。
鈴木琉胤は早稲田大学の次世代エース
鈴木琉胤選手は、早稲田大学スポーツ科学部で学びながら、競走部の長距離ブロックに所属している陸上競技選手です。
2025年4月に早稲田大学へ入学し、現在は2年生。高校時代にはインターハイ5000mで日本人トップ、全国高校駅伝1区で区間賞を獲得し、大学進学前から「超高校級ランナー」と呼ばれていました。
早稲田大学でも入学直後から主力に入り、全日本大学駅伝や箱根駅伝に出場しています。2026年には日本選手権5000mで学生最上位となり、U23アジア選手権では金メダルを獲得しました。
鈴木琉胤は何者?
鈴木琉胤選手は、5000mなどのトラック競技と駅伝の両方で活躍する長距離ランナーです。
高校時代には全国大会で何度も上位に入り、2024年のインターハイ5000mでは13分39秒85で2位。外国人留学生を含む決勝で日本人トップとなり、高校長距離界を代表する選手として知られるようになりました。
同年12月の全国高校駅伝では、各校のエースが集まる1区10kmを担当。28分43秒で区間賞を獲得し、当時の1区日本選手最高記録を5秒更新しました。
早稲田大学へ進学した後も、2025年の全日本大学駅伝2区で区間4位、2026年の箱根駅伝4区で区間賞を獲得しています。高校から大学へ舞台が変わっても、大きな駅伝で結果を残せる勝負強さが注目される理由です。
鈴木琉胤の基本プロフィール
| 項目 | 内容 | 補足 |
|---|---|---|
| 名前 | 鈴木琉胤 | 競技者名として公式掲載 |
| 読み方 | すずき・るい | 早稲田大学公式 |
| 生年月日 | 2006年4月19日 | 公式プロフィール |
| 年齢 | 20歳 | 2026年9月時点 |
| 出身地 | 千葉県松戸市 | 松戸市生まれ・松戸市育ち |
| 国籍 | 非公表 | 公式な記載は未確認 |
| 身長 | 非公表 | 公式プロフィールに記載なし |
| 体重 | 非公表 | 公式プロフィールに記載なし |
| 血液型 | 非公表 | 公式プロフィールに記載なし |
| 出身小学校 | 松戸市立小金北小学校 | 松戸市公式情報 |
| 出身中学校 | 松戸市立小金北中学校 | 松戸市公式情報 |
| 出身高校 | 八千代松陰高等学校 | 早稲田大学公式 |
| 大学 | 早稲田大学 | スポーツ科学部 |
| 所属 | 早稲田大学競走部 | 長距離ブロック |
| 専門 | 長距離走 | 5000m・駅伝など |
| 5000m自己ベスト | 13分20秒64 | 早稲田大学公式 |
| SNS | X・Instagram | 本人名義のアカウントあり |
早稲田大学競走部のプロフィールには、1500mで3分45秒76、5000mで13分20秒64、ロード5kmで13分58秒という自己最高記録が掲載されています。
鈴木琉胤選手の身長や体重、血液型は公表されていません。大会の映像やほかの選手と並んだ写真はありますが、見た目だけで正確な数値を割り出すことはできません。
名前の読み方は「すずき・るい」
「琉胤」は珍しい名前ですが、読み方は「るい」です。
松戸市のインタビューによると、沖縄や琉球が好きな両親が「生きる道を受け継いで、たくましく生きてほしい」という願いを込めて名付けました。
現在は「鈴木琉胤」の名前で競技会に出場し、早稲田大学競走部の公式プロフィールにも同じ表記で掲載されています。芸名や登録名を使っているという情報は確認できませんが、戸籍上の表記について本人が改めて説明した資料までは見つかっていません。
珍しくて印象に残りやすいだけでなく、両親の思いまで込められた名前だったのですね。
出身は千葉県松戸市
鈴木琉胤選手は、千葉県松戸市で生まれ育ちました。
本人は松戸市について、自宅近くでジョギングをしていると地域の人から声をかけてもらえる温かい街であり、大好きだと話しています。
出身地は公式情報で確認できますが、国籍については早稲田大学や本人から明確に公表された情報がありません。「琉胤」という名前は両親の沖縄・琉球への思いに由来しますが、この名前だけから本人や両親の出身地、国籍まで判断することはできません。
鈴木琉胤が早稲田大学へ進学した理由
鈴木琉胤選手は、八千代松陰高校を卒業した2025年春に早稲田大学スポーツ科学部へ進学しました。
早稲田大学の推薦合格者として2024年12月に発表され、都大路で3区区間賞を獲得した佐々木哲選手らとともに入学しています。鈴木琉胤選手が早稲田大学を選んだ背景には、箱根駅伝と世界の舞台を目指せる環境に加え、中学時代から続く縁もありました。
中学校の先生が早稲田大学出身だった
鈴木琉胤選手が早稲田大学とのつながりを意識するきっかけの一つになったのが、中学時代の先生です。
小金北中学校で鈴木琉胤選手の担任とサッカー部顧問を務めた中村柾先生は、早稲田大学サッカー部の出身でした。中村柾先生の理解があったことで、鈴木琉胤選手はサッカー部に所属しながら陸上大会にも出場できたといいます。
鈴木琉胤選手は後のインタビューで、中村柾先生との出会いについて「この頃から早稲田への道もつながっていたのかもしれません」と振り返りました。
最終的な進学理由が一つだけだったとは限りませんが、陸上への挑戦を支えてくれた先生が早稲田大学出身だったことは、鈴木琉胤選手にとって特別な縁だったようです。
早稲田大学で箱根駅伝優勝を目指している
鈴木琉胤選手は早稲田大学への推薦合格が発表された際、2010年度以来となる箱根駅伝総合優勝を目標に掲げました。
個人では5000mで12分台、10000mで26分台を出し、2028年ロサンゼルスオリンピックへ出場することも目指しています。
箱根駅伝だけでなく、トラック競技で世界を目指す意思もはっきりしています。大学駅伝の強化と国際大会への挑戦を両立できることも、早稲田大学を進学先として選んだ理由の一つだったのでしょう。
早稲田大学ではスポーツ科学部に在籍
鈴木琉胤選手が在籍しているのは、早稲田大学スポーツ科学部です。
スポーツ科学部では、競技力向上に関わる知識だけでなく、身体運動や健康、スポーツ文化などを幅広く学びます。鈴木琉胤選手は競走部の練習を続けながら、大学ではスポーツを専門分野として学んでいることになります。
早稲田大学競走部の公式選手紹介では、好きな言葉として「好きこそ物の上手なれ」を挙げています。走ることへの関心を競技と大学での学びの両方へつなげているところに、鈴木琉胤選手らしさが表れています。
鈴木琉胤の小金北中・八千代松陰高校時代
鈴木琉胤選手の学歴は、松戸市立小金北小学校、松戸市立小金北中学校、八千代松陰高校、早稲田大学です。
現在は長距離走者として知られていますが、幼い頃から陸上一筋だったわけではありません。小学校と中学校ではサッカーを続け、サッカーで活躍するために走り始めたことが、現在の競技生活につながりました。
小金北小学校時代はサッカーに熱中
鈴木琉胤選手は、松戸市立小金北小学校へ通っていました。
小学生の頃は、松戸市のサッカークラブ「カンガルーFC」に所属。学校の長距離走では毎年トップになるほど足が速かったものの、当時は陸上選手になるためではなく、サッカーの試合で活躍するために走っていました。
父親から「サッカーで勝つために走ろう」と声をかけられ、毎朝一緒に走る習慣もあったそうです。
この時期に身につけた基礎体力と走る習慣が、その後に陸上の才能を開花させる土台になりました。父親との朝のランニングは、鈴木琉胤選手の原点といえるエピソードです。
小金北中学校ではサッカーと陸上を両立
鈴木琉胤選手の出身中学校は、松戸市立小金北中学校です。
小学校時代の友人たちと「中学でも一緒にサッカーをやろう」と約束していたため、中学校でもサッカー部に入部しました。その後、陸上部顧問だった岡崎崇典先生に走力を見いだされ、サッカーを優先しながら陸上大会にも出場するようになります。
鈴木琉胤選手は、駅伝シーズンのみ活動する駅伝部にも参加しました。東葛駅伝を経験したことで、仲間とたすきをつなぐ駅伝の楽しさを知ったと語っています。
中学3年だった2021年には、全日本中学校陸上競技選手権の男子3000mへ出場。8分35秒54で優勝し、当時の千葉県中学生歴代3位となる記録を残しました。
サッカー部員でありながら全国中学ナンバーワンになった成績は驚きですよね。この優勝をきっかけに複数の陸上強豪校から声がかかり、鈴木琉胤選手は本格的に陸上の道へ進むことになりました。
八千代松陰高校で陸上に専念
中学校卒業後は、千葉県八千代市にある八千代松陰高校へ進学しました。
八千代松陰高校は全国高校駅伝への出場経験が豊富な陸上強豪校です。小金北中学校の陸上部顧問だった岡崎崇典先生が同校の卒業生であり、当時の大塚正人監督からプロランナーを目指す道について直接助言を受けたことも進学につながりました。
高校入学を機にサッカーを離れ、陸上競技へ専念します。ただし、松戸市の自宅から八千代松陰高校までは片道約2時間かかり、毎朝4時30分に起きて通学していました。
全国トップクラスの成績だけを見ると、順調に力を伸ばしたように映るかもしれません。しかし、長距離通学をしながら勉強と練習を続けた日々があり、家族や仲間の支えも大きかったことが分かります。
高校1年から全国高校駅伝で活躍
高校1年だった2022年には、全国高校駅伝の4区を任されました。
鈴木琉胤選手は1年生ながら区間3位となり、八千代松陰高校の40年ぶりとなる総合3位に貢献しています。インターハイ1500mでも6位、国民体育大会の少年男子B3000mでは優勝しました。
2023年の全国高校駅伝では、エース区間の1区に出場して区間7位。都道府県対抗男子駅伝では、高校生区間の5区で2位に入っています。早稲田大学の公式プロフィールを見ても、高校1年から継続して全国大会の上位に入っていたことが分かります。
高校2年時に仙骨を疲労骨折
高校生活がすべて順調だったわけではありません。
鈴木琉胤選手は高校2年の時、仙骨の疲労骨折によって長期間走れない時期を経験しました。仙骨は骨盤の中央にある骨で、長距離走などによる負担が繰り返しかかることで疲労骨折を起こす場合があります。
走れなかった時期に支えとなったのが、八千代松陰高校の仲間たちでした。鈴木琉胤選手は、河嶋晃汰選手、和久井夏輝選手、河田珠夏選手ら松戸市出身の仲間と励まし合い、勉強と陸上を続けてきたと話しています。
高校時代の成績を単純な成功物語として捉えるだけでは、鈴木琉胤選手の歩みは見えてきません。走れない時期を経験しながら、仲間の支えを受けて全国の舞台へ戻ったことも、その後の強さにつながる大切な経験でした。
全国高校駅伝1区で28分43秒の区間賞
高校最後の大舞台となった2024年12月の全国高校駅伝では、1区10kmに出場しました。
鈴木琉胤選手は序盤から先頭に立ち、中間地点を過ぎてから後続との差を広げます。最後は2位に29秒差をつけ、28分43秒で区間賞を獲得。従来の1区日本選手最高記録を5秒更新する走りでした。
八千代松陰高校は総合4位でしたが、鈴木琉胤選手は高校最後の都大路で強烈な印象を残しました。
トラックの5000mだけでなく、順位や駆け引きが重要になる駅伝でも強さを発揮できると証明したレースです。早稲田大学で即戦力として期待されたのも納得できる結果でした。
鈴木琉胤の早稲田大学での駅伝・陸上成績
鈴木琉胤選手は2025年4月に早稲田大学へ入学すると、1年目から大学駅伝の主要メンバーに選ばれました。
高校駅伝より距離が長くなり、経験豊富な上級生とも競う大学駅伝で、早くから力を発揮しています。全日本大学駅伝と箱根駅伝の成績を見ると、早稲田大学の次世代エースと呼ばれる理由が分かります。
全日本大学駅伝2区で区間4位
2025年11月2日の第57回全日本大学駅伝では、1年生ながら2区を任されました。
2区は各大学の有力選手が集まりやすく、序盤の流れを左右する重要な区間です。鈴木琉胤選手は11.1kmを31分15秒で走り、区間4位。早稲田大学の同区間における新記録も樹立しました。
早稲田大学は総合5位でゴールしています。鈴木琉胤選手は前半の重要区間で順位を保ち、初めての全日本大学駅伝で安定した走りを見せました。
箱根駅伝は4区で区間賞
2026年1月2日の第102回箱根駅伝では、往路4区に起用されました。
鈴木琉胤選手は20.9kmを1時間00分01秒で走り、初出場で区間賞を獲得。青山学院大学の平松享祐選手や國學院大学の辻原輝選手ら、実績のある選手を上回りました。
高校駅伝の1区10kmから箱根駅伝の20.9kmへ距離が大きく延びても、持ち前のスピードを最後まで保っています。早稲田大学は往路2位、総合4位となり、鈴木琉胤選手の快走は往路の好成績を支えました。
高校最後の都大路に続き、大学最初の箱根駅伝でも区間賞を獲得したことになります。注目される大舞台で結果を出せるところが、鈴木琉胤選手の大きな強みです。
日本選手権5000mで2年連続学生最上位
2026年6月の第110回日本選手権5000mでは、予選2組を13分27秒80の3着で通過しました。
決勝では13分24秒60を記録し、実業団選手に続く4位。大学生では最上位となり、2025年大会に続いて2年連続で学生トップの成績を残しました。
日本選手権は国内最高峰の選手が集まる大会です。その舞台で早稲田大学2年生の鈴木琉胤選手が表彰台まで約2秒に迫ったことからも、すでに学生の枠を越えた力を持っていることが分かります。
U23アジア選手権5000mで金メダル
2026年7月には、中国・オルドスで開催された第1回U23アジア選手権へ日本代表として出場しました。
男子5000mで序盤から先頭に立ち、終盤にインドの選手へ一度先頭を譲ったものの、残り1周で抜き返します。14分01秒24で優勝し、初代U23アジア王者となりました。
2025年のワールドユニバーシティゲームズは足の故障により欠場していたため、U23アジア選手権が日本代表として実際に走る最初の国際大会となりました。タイムだけでなく、展開を読みながら勝ち切った点にも成長が表れたレースです。
鈴木琉胤のライバルは誰?
鈴木琉胤選手のライバルとしては、中学・高校時代から競い合ってきた河嶋晃汰選手や、大学でともに世界を目指す増子陽太選手、青山学院大学の折田壮太選手などが挙げられます。
本人が特定の一人だけを「最大のライバル」と決めているわけではありません。競技の舞台によって、仲間がライバルになり、大学駅伝で競う相手が日本代表のチームメイトになる関係です。
中学時代に勝てなかった河嶋晃汰
河嶋晃汰選手は、鈴木琉胤選手が中学時代の大会で一度も勝てなかった相手です。
河嶋晃汰選手は松戸市立第六中学校から八千代松陰高校へ進み、鈴木琉胤選手とチームメイトになりました。高校では陸上部の主将を務め、ともに全国高校駅伝を目指しています。
中学時代には勝ちたいライバル、高校では同じ目標へ向かう仲間になったのです。競い合うだけではなく、苦しい時期を支え合う関係になったところに、駅伝選手らしいつながりが感じられます。
早稲田大学の増子陽太
増子陽太選手は、学法石川高校から2026年に早稲田大学へ進学した長距離ランナーです。
2026年の日本選手権5000mでは、鈴木琉胤選手が4位、増子陽太選手が7位に入りました。早稲田大学の若い2人がそろって日本選手権へ入賞したことになります。
2人は2026年の世界ロードランニング選手権男子5km日本代表にも選ばれました。大学では同じチームで箱根駅伝優勝を目指す仲間ですが、学生トップや日本代表を争う身近なライバルでもあります。
鈴木琉胤選手と増子陽太選手が同じ早稲田大学で競い合う環境は、今後の大学駅伝でも大きな力になりそうです。
青山学院大学の折田壮太
折田壮太選手も、鈴木琉胤選手と同世代の有力ランナーです。
2026年のU23アジア選手権5000mには、鈴木琉胤選手と折田壮太選手が日本代表として出場。鈴木琉胤選手が優勝し、折田壮太選手は5位に入りました。
大学駅伝では早稲田大学と青山学院大学の選手として対戦しますが、国際大会では同じ日本代表になります。箱根駅伝では大学の順位を競い、トラックでは個人として世界を目指す関係が続いていくでしょう。
鈴木琉胤の家族構成と性格
鈴木琉胤選手の家族については、両親がいることや父親とのランニング、名前の由来などが本人のインタビューで明かされています。
一方、両親の氏名や職業、兄弟姉妹の有無など、詳しい家族構成は公表されていません。確認できる範囲では、鈴木琉胤選手の競技生活を幼い頃から支えてきた家族であることが分かります。
父親と毎朝走ったことが陸上の原点
父親は、鈴木琉胤選手が小学生だった頃から一緒に走っていました。
きっかけは陸上大会ではなく、サッカーで勝つためです。父親の「サッカーで勝つために走ろう」という言葉から毎朝のランニングが始まり、鈴木琉胤選手は学校の長距離走で毎年トップになる力を身につけました。
父親の氏名や職業、スポーツ経験については公表されていません。それでも、早朝から息子と一緒に走り、好きな競技への挑戦を支えていたことは確認できます。
母親や兄弟姉妹の情報は非公表
母親の氏名や職業も公表されていません。
両親が沖縄や琉球を好きだったこと、鈴木琉胤選手の名前に「生きる道を受け継いで、たくましく生きてほしい」という願いを込めたことは明かされています。
また、高校時代には毎朝4時30分に起きて片道約2時間をかけて通学しており、本人は家族や仲間に支えられたと話しています。食事や生活を含め、家族の協力が欠かせない3年間だったことがうかがえます。
兄弟や姉妹がいるのかについては、本人や早稲田大学から公表された情報を確認できませんでした。
性格はしっかり者で個性的?
鈴木琉胤選手の性格については、早稲田大学のチームメイトによる発言が参考になります。
同期の堀野正太選手は、鈴木琉胤選手について、本人はあまり練習していないと言うものの実際には多く練習していること、寝る時間が非常に早いこと、役割分担をきちんと行うしっかり者であることを紹介しました。
2026年4月の早稲田大学競走部の部員日記では、前の担当者から「すっごく変人」と紹介されたことに対し、鈴木琉胤選手自身も「まあそうかぁ」と納得しています。
周囲からは少し個性的な人物として見られる一方、練習やチーム内の仕事には真面目に取り組んでいるようです。一つの発言だけで性格すべてを断定することはできませんが、親しみやすさとしっかりした一面を併せ持つ選手という印象を受けるエピソードです。
鈴木琉胤の2026年現在と今後
2026年9月現在、鈴木琉胤選手は早稲田大学スポーツ科学部の2年生として競技を続けています。
2026年は箱根駅伝4区区間賞、日本選手権5000m4位、U23アジア選手権5000m優勝と、大学駅伝、国内最高峰の大会、国際大会のすべてで結果を残しました。
さらに、日本陸上競技連盟は2026年9月19日から20日にデンマーク・コペンハーゲンで開催される世界ロードランニング選手権の男子5km代表として、鈴木琉胤選手と増子陽太選手を選出しています。
早稲田大学の選手として箱根駅伝総合優勝を目指す一方、個人では5000mの12分台、10000mの26分台、2028年ロサンゼルスオリンピック出場を掲げています。
すでに箱根駅伝の区間賞やU23アジア王者という実績がありますが、鈴木琉胤選手はまだ大学2年生です。駅伝のエースとして早稲田大学を引っ張る姿と、トラックで日本代表を目指す姿の両方に注目が集まります。
鈴木琉胤と早稲田大学に関するまとめ
- 鈴木琉胤選手は早稲田大学競走部に所属する長距離ランナー
- 読み方は「すずき・るい」で、2006年4月19日生まれ
- 2026年9月現在は20歳で、早稲田大学スポーツ科学部の2年生
- 千葉県松戸市で生まれ育ち、松戸市立小金北小学校を卒業
- 出身中学校は松戸市立小金北中学校
- 中学時代はサッカー部に所属しながら、全中3000mで優勝した
- 出身高校は陸上の強豪・八千代松陰高校
- 高校2年時には仙骨の疲労骨折を経験した
- 2024年の全国高校駅伝では1区を28分43秒で走り区間賞を獲得
- 2026年の箱根駅伝では早稲田大学の4区を走り区間賞を獲得
- 2026年の日本選手権5000mでは4位、U23アジア選手権では優勝
- 身長・体重・血液型、両親の職業、兄弟姉妹の有無は非公表
- 河嶋晃汰選手、増子陽太選手、折田壮太選手らがライバルとして注目されている
- 早稲田大学の箱根駅伝総合優勝と2028年ロサンゼルスオリンピック出場を目指している
鈴木琉胤選手は、サッカーで勝つために父親と走り始め、小金北中学校で陸上の才能を見いだされました。八千代松陰高校で故障や長時間通学を経験しながら全国トップへ成長し、早稲田大学では1年目から箱根駅伝の区間賞を獲得しています。
高校時代からの圧倒的な記録だけでなく、仲間に支えられて故障を乗り越えた経験や、大学駅伝と世界の舞台を同時に目指す姿も鈴木琉胤選手の魅力です。早稲田大学の次世代エースが、今後どこまで記録を伸ばすのか注目です。
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参考・出典
広報まつど2025年3月15日号 八千代松陰高等学校陸上競技部・鈴木琉胤さん|松戸市
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